こんにちわ ゆるゆる蒟蒻です(ペコリ


松平不昧と言えば茶人大名の一人であり、「不昧流」「不昧公好みの菓子」「喜左衛門井戸」………等で有名な人物でありますが……

もう一つ風雅な趣味として”金魚”を愛好したと言う事も特筆すべきことなのかもしれません。

不昧公ゆかりの金魚

「出雲なんきん」なるこの金魚……をガラス張りの天井に泳がせて月の光を愛でる……とは何とも風雅な一コマでありますが……

しかし……この不昧公?

藩主に成りたての頃には、そんな贅沢はとても出来る状況では無かったようでした。

それを可能にしたのが数々の藩政改革だった訳ですが

それでも「喜左衛門井戸」「油屋肩衝」などの銘品をポンと買う事が出来たのは不思議 (´・ω・`) とされています。

この金子の出処については、色々な考え方があるようですが……

年貢を7公3民にしてまでも……であったり……密貿易をしてまでも……であったり……

そのようにしてまで求めた「茶碗」や「菓子」や「金魚」であるわけですが……

幕府や藩と言ったものが無くなったとしても

そして、武士などと言う身分が無くなったとしても

彼が創り出した(作意を加えた)数々の品々は「風雅な見本」「文化」として残っていったことを考えると

不思議でもあるし……制度に捕らわれない文化の生命力の力強さを垣間見る事ができます。

たかが茶碗されど茶碗

たかが茶菓子されど茶菓子

たかが金魚されど金魚

月の光を照らした義山(ギヤマン:ガラスの事)を通して観る白地に赤い金魚の遊泳を不昧公はどのように思って観ていたのか?

今となっては想像するよすがも無いですが

乾隆帝の様に「十全老人」として、その光景を観ていたとは……なかなかに……


そこには、越前松平藩としての立場と儚さを映しとって観ていたのではないでしょうか?

物欲の溺れない事を意味する”不昧”を号する自分をして

人間の矛盾と、透けてはいて人間の手からは容易に届かないガラスの中で泳ぐ金魚の、一見自由に見えて自由ではない有様とを重ね合わせていたような気がします。




今日も蒟蒻ぽちっとな (*´ω`*)


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